先月末のことになりますが、ステンレスキャビネットなどのキッチンで有名なメーカーである、クリナップの工場見学に行ってきました。
今回、水回り機器の仕入れ先であるM社の所長さんからお誘いいただき参加してきたのですが、この工場見学については、その立地についても大きく気になった地域でもあり、この機会をいただけたことに大変感謝しております。
しかし、なぜ塗装や雨漏り修理をしている当社と、水回り機器が関係があるのか?と思う方もいらっしゃると思います。
その理由とは・・・、塗装をはじめとして、特に雨漏り修理となると、建物を多角的に観察し、修理する必要があり、そのためにはいろいろな可能性を含めての検討をしなければなりません。
そのような確認作業や、その説明をさせていただくと、お客様から「ところで、こんな事は判るのか?」とか「ここが困っているので、直せないか?」などというご相談をいただくことも多く、特に雨漏り以外で不便が出やすい個所が、水回りだからなのです。
このようにお声掛けいただくことで、私どもとしても、専門外だから知らないとは言うのはお客様にたいして申し訳ないですし、何より、喜んでいただけるのならばと、どうしても業務の巾が広がってしまうのです。
もちろん、自分でも建物全体を多角的に直すことが楽しいという思いもあるからなのですが(笑)
さて話がそれましたが、1泊2日の工程でクリナップの工場見学へ向かったのですが、工場所在地は福島県いわき市。
今回は、静岡県内のクリナップ営業所が主催とのことで、静岡県内各地から新幹線で都内へ向かい、品川駅で集合したところから観光バスで移動となっていました。
実はもっと大がかりと言うか、大人数が集まるものと思い込んでいましたが、実際の参加者は30人程度の少数で、その分、工場見学でも各工場を細かく見せていただきました。
しかしこの見学で驚いたのは、何より内製化率が高いこと。
ステンレスを推すメーカーですから、ステンレス加工に関する事は当然ですし、その加工現場にて、目の前で見る事が出来ましたが、そのほかについてもなかなかの割合で自社生産をしており、その根底には創業者の思いがあるとのことでした。
また、社内に研修施設での研修プログラムについても、役職が変わった際も含め、定期的に実施されるところなど、さすがだと思わせるものでした。
恥ずかしながら、それほどこちらの製品は詳しく理解していなかったのですが、今回、見直したと言うか、とても好きになったメーカーです。
初日に数種類のキッチン製造ラインを見学し、その後宿泊先へ移動。
宿泊先として用意してもらったのは、映画「フラガール」でも知られている「スパリゾート・ハワイアンズ」
そして言うまでもなくハワイアンショーも観覧しましたが、雪こそ降っていないものの、本当に寒い場所なのに、大型体育館のような中はとても暖かくまさしくハワイ(笑)、その一角のステージにて、ショーを見てきました。
映画「フラガール」を見たこともありますから、雰囲気だけは判っていましたが、目の前で見るショーはとても感動的。
映画の内容は事実に基づいたもので、炭鉱での掘削から出る温泉水の利用や、炭鉱の閉鎖に伴って新たな雇用を作るためにもとつくられた事が始まりだそうですが、クリナップでも雇用を依頼され、新たな工場を作ったり、このスパリゾートハワイアンズ立ち上げに際しても出資していること。
そんな事前情報もあったからかも知れないですが、そんなことを聞いていなくても、何よりショーは素晴らしかったです。
そして翌日、最後の工場と創尊堂を見学した後に連れて行ってもらったのが、塩屋崎という場所。
その塩屋崎に到着する少し前、車窓から見えたのは、海沿いの造成地のような場所でしたが、東北大震災のときまでは数百件の住宅が並ぶ町があった場所だったそうです・・・・・。
塩屋崎のお土産物屋さんで、ご主人から当時の様子を聞かせていただき、被災した当時の写真を見ていると、胸が苦しくなってきます。
自然の前に人間とはいかに無力であるか・・・。
また、帰宅後調べてみると、観光庁のホームページにも紹介されていました。
http://tohoku-monogatari.org/spot/?lid=67138
もしこのブログをご覧になった方で、いわき市に行く事があったならば、こちらへぜひ行っていただき、当時のお話を聞いていただきたいと思います。
その後、小名浜港に隣接する「ららみゅう」にて昼食をいただいたのですが、施設の2階にて、震災当時や震災後の様子を伝える特別展が行われていました。
こちらで展示されているものを目にして、説明を読んでいると、目に涙が溢れてきてとても苦しかったです・・・・・。
日本中を震撼させた地震にて、それまでの過ごしてきた生活とは全く違う状況になり、多くの方々が苦しんだのだと思います。
何でそんなことを今頃とお叱りを受けるかもしれませんが、今回はじめて福島県に行けたことで、自分の中に感じることがいっぱいありすぎて、言葉にするのが難しいため、この拙い文章をお詫び申し上げます。
今回、震災当時やその後のこと、福島県に関わることを、いろいろと思い出しました。
震災直後、親しくしている塗料メーカーの営業さんがいわき市出身であり、お父様が一人暮らしをしていたため、現地に向かいました。
当然、連絡もつきませんし、とにかくということで車で現地に走ったのですが、どちらかと言えば高台だったので、家の周りに大きく目立った被害は無かったそうですが、水道は断水、食料は手に入らない、ガソリンも手に入らないと、静岡に戻る手段がなく、たいへんだったと言っていました。
その時に私にできたことは、ほんの少しの手助け程度だったので、たいへん歯がゆい思いをしたことを思い出しました。
また震災後、当社に1年ちょっと在籍した社員がおりました。
2011年11月中旬、ハローワークから面接の申し込みがありました。
面接にやってきたのは福島訛りのある塗装職人でしたが、震災後、いろいろな思いもあり、家族で浜松に自主避難をしてきたとのこと。
1年ちょっと当社に勤めていましたが、奥さんの実家が福島にあることもあり、長女が小学生になるタイミングで福島に戻り、元の会社で頑張っています。
今回、きっかけはクリナップの工場見学というもので福島に行ったわけですが、このようなご縁をいただいた事に心より感謝申し上げます。
また今回の工程にて、同行していたクリナップの社員の方は、震災当時は仙台営業所にいたとのことで、当時の様子も生の声としてお聞きすることが出来ました。
良い製品を生み出そうとする企業姿勢を見せていただき、さらに震災からの時間の流れなど、多くのものを見せていただきました。
繰り返しになりますが、今回のような機会をいただけたことは本当にありがたいことであり、今回お会いしたすべての方に心より御礼申し上げます。